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雪見酒

 雪が降っていた。
 刺すように冷たい空気が肺を震え上がらせる。
 幸い、風は無かった。
 ひらひらと舞い降りている、雪。

「どうしたんですか?」

 ベランダの奥に座る影に、そう問い掛けた。

「……」

 影は応えなかった。
 これほど寒いにも関わらず、その影は微動だにしない。

「隣に座りますよ、おやじさん」

 白い息を一つ吐いて、腰を下ろす。
 その影は千紗ちゃんの親父さんだ。

 今日はいつものように千紗ちゃんの家の手伝いに来ていた。
 と言っても、それほどすることも無く、千紗ちゃんと話し込んでいただけだったけど。

 見上げると、町の明かりに照らされた粉雪がまばらに降りそそいでいた。積もるかどうかは微妙なところだ。

「千堂君は、呑めるほうかい?」

 おやじさんは、こちらを振り向かず酒を勧めてきた。

「はは、雪見酒ですか。風流ですね」

 千紗ちゃんに「お父さんが呼ぶように」って言われて来たのだが、どうやら俺と酒を呑みたい……だけだろうか。いや違うな。
 職人気質のおやじさんらしいや。

「少しぐらいなら頂きます」

 そう言って、差し出されたコップを受け取った。

「……」

 無言で酒が注がれる。

「……いただきます」

 コップに注がれた酒の上辺だけ喉に流した。

「……何か、話があるんじゃないですか?」

 一緒に酒を呑みたいだけなら、夕食の時に誘ってくれるはずだ。
 そうじゃないのなら。
 何か特別な話があるに決まっている。

「……今日も、あと少しだな」
「……そう、ですね」

 今の時間は夜の9時ぐらいか……さっき時計も見たし、そんなもんだろう。

「千堂君は……ウチが今どんな状態か、知ってると思う」
「ええ……千紗ちゃんから聞いてます」

 ウチ、と言うのは間違いなく塚本印刷のことだ。
 千紗ちゃんのご両親が毎日資金繰りにてんてこ舞いなこととかも含めて言っているんだろう。
 そして、このままでは4月を迎える前に、店を閉じて引っ越してしまうことも。

「俺も出来る限りのことはしますよ」
「……」

 そう決めたから。
 俺が千紗ちゃんと離れたくないだけのわがままだとしても。
 そう決めたから。

「なぁ……千堂君は千紗のこと、どう思っているんだ?」
「えっ? あっ……とっ」

 いきなりそんな質問がっ?

「アイツはさ……4月になったら俺や女房と一緒にこの街からいなくなっちまうんだ」
「……」

 おやじさんは、くいっとコップを空けた。

「千紗が千堂君の事を好いているのは俺も知ってる」
「……」

 おやじさんに酒を注いだが、少し震えた。
 寒さのせいじゃない。

「出来るならさ、俺もこの街でこの仕事を続けたいと思ってる」
「……」

 どう言う意味かは……少し解かる。
 話下手なおやじさんのことだ。
 遠まわし遠まわしにしか言えないんだろう……。
 俺の口から、俺が千紗ちゃんのことをどう思って付き合っているかなんて言ったことは無いけど、千紗ちゃんならあっけらかんとして両親に話しているだろう。
 いつかは来ると思って、予想はしていた。
 でも、俺を試すようなことはしないのか……?

「ま、今の時点じゃ望み薄なんだわ」
「……はい、そうですね」
「けどよ……ならどうして、千堂君は千紗に良くしてくれるんだ?」
「……」

 ……なるほど。そういう意図の話か、この酒は。

「千紗ちゃんは俺に元気をくれるんです。
 健気で明るくて真面目で人一倍元気で。
 そんな千紗ちゃんが、悲しむ顔なんて見たくない。
 ただ……それだけです」

 おやじさんはいつの間にかこっちを向いて、真剣な目で聞いていた。
 そんな話は聞きたくないと言う雰囲気を感じる……。
 ハッキリ言って、おやじさんにこんな事を言うのは凄く緊張する……当たり前だけど。

「……結局、俺は千紗ちゃんのことが好きなんです」

 ふと、おやじさんの気配が変わった。

「……まぁ、千紗の話から予想はしてたけど、やっぱりな……」

 ヤバイ? 怒られる?
 いや、おやじさんのことだから殴られるのか?
 でも怖気づいてちゃダメだッ。
 自分を激励する。

「千紗はよ……俺と女房の、可愛い娘だ」
「……はい」
「いつかはこんな日が来るとは覚悟してた」
「……」
「色恋なんてまだまだ早いなんて思ってたからな」
「……はい」

 確かに、そうだ。
 千紗ちゃんはまだ、今の自分の気持ちがどんな言葉で表現されるのか気付いていない。

「だったらよ……今日だけでも、アイツを笑わせてやってくれねぇかな?」
「……?」

 いまいちおやじさんの言ってることが理解できないけど……。
 なんだろう……。

「あ、いや、すまん……俺はどうも口下手でよ……」
「いえ、大丈夫ですよ」
「営業って仕事も女房に手伝ってもらってばっかでさ……」
「……」
「あぁ、また。こんな話はどーでもいいやな」
「……いえ」

 先ほどから進んでいない酒を、また呑みなおすおやじさん。

「つまりよ……俺は千堂君と千紗のこと、別に認めてないわけじゃない」
「……」
「千堂君には客商売としてやっちゃなんねぇ借りもある」
「……」

 それは、夏コミのことだろうか……。

「俺が知らないとでも思ったか?
 千紗が泣いて話してたよ……。
 なんとか面と向かって千堂君に謝りたいと思ってた。
 ……遅くなって、すまん」
「いえ……もう過ぎたことです。
 でもあれぐらいのことで千紗ちゃんを……」
「あれぐらいなんて言わないでくれ。
 この仕事は俺の人生だ」
「あ……すいません」
「いや……それで、あんなことがあってからも、千堂君は千紗によくしてくれてる。
 千紗が落ち込んで帰ってくることもあったな。
 そんな時は、たいがいどっかでドジを踏んだ時だが、千堂君に迷惑を掛けたと言っていた時もあった」

 去年の秋に、俺の原稿の手伝いをしてた時……かな。

「それでも千堂君は千紗によくしてくれていた。
 千堂君の気持ちに気付かないわけが無いさ」

 う……。
 はた目……いや、親の目から見ればそうなるのか……。
 まぁ、千紗ちゃんは何でも素直に話しちゃうからなぁ……。

「俺は印刷屋だ。たいがいの原稿を見ればそいつがどんなやつか解かる。
 原稿の紙、トーンの貼り、筆跡……。
 千堂君が悪いやつじゃないなんて、初めっから解かってた」

 ……。

「だからよ。千堂君と千紗のこと、別に認めないわけじゃないんだ」
「……」
「むしろ好ましいと思ってるよ」
「……あ、ありが…」
「ち、違う違う。待て待て」
「え……?」

 そう言うと、おやじさんは一つ咳払いをした。

「だからさ……千紗を笑わせてやって欲しいって言ったのは、そのぉ……なんだ」
「……?」

「千堂君がさ、千紗への誕生日プレゼントになってくれねぇか?」

 ……?
 なに?
 誕生日プレゼント……?
 今日は……2月22日。
 千紗ちゃんの誕生日か……。

「口下手で、ほんとにすまん」
「……い、いえ……」
「俺の家は、こんなでよ……千紗にはいつも苦労かけてた。
 誕生日だって、たいしたプレゼントを買ってやった記憶がねぇ。
 でも親としては何かしてやりてぇじゃねぇか」
「……」
「千紗が今一番欲しいと思ってるモン……それは、間違いなく千堂君だ」
「……」
「いや……千堂君を物扱いしてすまんと思ってるよ……。
 でも、今日は……。
 千堂君という、千紗にとってかけがえの無いものを、俺が不甲斐ないばかりに引き離してしまう今年の誕生日は……千堂君が千紗のわがままを聞いてほしい。
 千紗も……そろそろ俺や女房から、頼る相手を男に変えてもいいだろ、と思うんだ。
 歯の浮くようなセリフを言わせて悪いけど、『俺がプレゼントだよ』とか言ってよ、千紗を喜ばせてやって欲しいんだ」

 そんなの、むしろ望む所だけど……。

「千紗はまだ高2だし、嫁ぎに出すにはまだ早い。
 大学生の千堂君に千紗を頼むというのも酷だしな。
 だから4月になれば逢えなくなる……ってのも、解かってる。
 これも酷な頼み事だと思うんだけど、今日は千紗を笑わせてやってくんねぇかな……」
「そんなこと無いですよ……。
 千紗ちゃんはおやじさんのこと、尊敬して慕ってます。
 誕生日おめでとうという言葉だけでも、千紗ちゃんは喜んでくれますよ」
「……そうだろうな……。でもな……」
「おやじさんにそんな事を頼まれるなんて、非常に光栄です。
 心の底から嬉しいです」
「……」
「でも、今日だけなんて言わないで下さい。
 俺は……千堂は、いつでも千紗ちゃんに笑顔のままでいて欲しい」
「……」

 俺は雪の降る街を眺めていた視線をおやじさんに向けた。

「だから、おやじさんも……諦めないで欲しい」

 おやじさんは、少し驚いた目をした。

「俺は同人創作作家です。
 空想癖だなんだと言われますけど……。
 未来は掴むものだと信じてます」
「……わかったよ……。
 ははっ……。
 俺が励まされるとはな……。
 親の俺が千紗のことをやるなんて事を言ってるのにな……」
「……すいません、出過ぎた真似を……」
「いや、いいさ……半ば諦めかけてる俺に気付くなんてな……。
 俺は、千紗の親としても、俺個人としても、千堂君に出会えたことを嬉しく思うよ。
 ……ま、ちょっとしんみりさせすぎちまったな。
 この一杯を呑んだら階段駆け下りて、千紗のところに行ってやってくれや……」

 おやじさんの手から、酒が注がれる。

「この酒は、俺の精一杯の気持ちだ」

 そう言われて呑んだ雪見酒は、とても熱くて、切ない味がした。

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Document Write by iszark. Last Update, 2002-02-22.
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